かつての日本には72の季節があった?・前編(月刊ステテコ 2月号)

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©Ryu Itadani
©Ryu Itadani

2月の絵 「 Risshun_Usui 」  by Ryu Itadani

かつての日本には72の季節があった?

今日から2月ですね。今年は2月2日が節分。何と、2月2日が節分になるのは124年ぶりとのこと。そして節分の次の日、2月3日が立春で、暦の上ではいよいよ新しい春が始まり、今年は2月12日に旧暦上の正月を迎えます。現代の日本では新暦での正月がすっかり主流になっていますが、今でも沖縄など、一部の地域ではこの旧暦上の正月にしっかりお祝いをする風習が残っているそうです。今回の月刊ステテコでは何となく知っているようで詳しくは知らないこの「旧暦」のことについて少し研究してみたいと思います。

わたしたちが普段つかっている新暦(グレゴリオ暦)が日本で公式に導入されたのは今から約150年ほど前の1873年(明治6年)。明治5年の11月9日に「来月の12月2日をもって今使っている暦を廃止して、12月3日を明治6年の1月1日にして新しい暦を始めます!」という内容の改暦ノ布告が突如発表され、移行期間は相当な混乱があったそうです。(そりゃそうですよね。。。)

そもそも新暦、旧暦はどういう違いからくるものなのでしょうか?人は昔から、太陽や月のめぐるリズムを、季節や月日などを知る手がかりにしてきましたが、地球が太陽のまわりを一周する時間の長さを一年とするのが、太陽暦(新暦)。月が新月から次の新月になるまでを一か月とするのが太陰暦です。太陰暦は月の満ち欠けにあわせて、暦月の1ヶ月を約29.5日とし、1年を約354日としていますが、季節の移り変わりは太陽の周期そのままなので1年約365日で、太陰暦をそのまま使うと1年につき約11日、3年で約33日(約1ヶ月分)、暦と季節がずれてしまいます。そこで閏月をいれることで、日付は月の運行に従い、1年の長さは太陽の運行に合わせて、暦と季節のずれを調整したのが太陰太陽暦です。「旧暦」というのは、明治6年から新暦が使われだすまでの約1500年もの長い間、日本で使われていた、この太陰太陽暦のことで、昔ながらの日本の暮らしの暦です。旧暦では月日は、月の満ち欠けによる太陰暦で定めていて、新月の日が毎月1日になります(今年は2月12日が新月ということですね!)。自然や私たち人間の身体や心が、月のリズムと太陽のリズムと両方から影響を受けていることを考えると、この1500年もの間続けてきた太陰太陽暦をベースにした暮らしを西洋化の急速な流れの中で慌ただしく捨てていって本当に良かったのか?というのは考えさせられるものがあります。

また、旧暦をもとに暮していた時代には、季節には、太陽暦の一年を四等分した春夏秋冬の他に、二十四等分した二十四節気と、七十二等分した七十二候という季節があり、人はそうした季節の移ろいをこまやかに感じ取って生活していたと考えられます。

二十四節気としては

立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨

立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑

立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降

立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

以上がありますが、例えば「立春」の中には

・東風解凍(とうふうこおりをとく) 暖かい春風が吹いて、川や湖の氷が解け出すころ

・黄鴬睍睆(うぐいすなく)    春の到来を告げる鶯が、美しい鳴き声を響かせるころ

・魚氷上 (うおこおりにあがる) 暖かくなって湖の氷が割れ、魚が跳ね上がるころ

「雨水」の中には

・土脉潤起(どみゃくうるおいおこる) 早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおいめざめるころ

・霞始靆 (かすみはじめてたなびく) 春霞がたなびき、山野の情景に趣きが加わるころ

・草木萌動 (そうもくもえうごく)  しだいにやわらぐ陽光の下、草木が芽吹き出すころ

といったように、節気の中にさらに3つの候があり、1年で七十二候にもなるという具合です。

(参考「日本の七十二候を楽しむ ‐旧暦のある暮らし‐」 白井明大 著)

 

次回、もう少し旧暦と私たちの暮らしについて研究してみたいと思います。

Ryu Itadaniさんによる今月の絵「Risshun_Usui」は上述の黄鴬睍睆、魚氷上、草木萌動をモチーフに描いていただきました。

 

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