クラシック音楽とステテコ(月刊ステテコ9月号)

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@Ryu Itadani
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今月の絵『楽器』 by Ryu Itadani

クラシック音楽とステテコ(月刊ステテコ9月号)

「クラシック」と耳にするとき、伝統や古典といった意味も手伝って、いささか「古い」イメージが漂いがちですが、しかしそこには一朝一夕では得られない風格とでもいいましょうか、長い時代の風雪に耐え抜いてきたからこその魅力があります。

 たとえばクラシック音楽。

 大まかにいえば、6世紀ごろのヨーロッパの教会などで演奏される宗教音楽として生まれ、宮廷音楽→民衆音楽→芸術として発展。今日、私たちがクラシック音楽と聞いてイメージするのは、そのうち16~19世紀のおよそ400年間の「かたまり」のような部分であり、その時々の最先端の音楽が積み重なってできた「音楽の地層」といってもいいかもしれません。

 日本の時世では「江戸時代まるごと+前後50年ぐらいの間に生まれた西欧の音楽」という感じでしょうか。音楽室に作曲家の肖像が飾られ、ピアノやバイオリンなどで演奏され、美しい声で歌われ、コンサートホールにはたくさんの正装姿、バレエやフィギュアスケートにも用いられる…というように、現在でも私たちはクラシック音楽について実に多くのイメージを持っています。

 ではそれらすべてが「古い」印象か、というとそうとも限らないのがおもしろいところで、はるか未来を描いたSF映画にクラシック音楽が流れるシーンを想像するのは、大して難しいことではありません。

 時間の問題としてだけみれば、確かに古い。しかし長い歴史の風雪を耐え抜いてきた「文化」として考えれば、クラシック音楽(と呼ばれるもの)には優れて不変的な魅力があることも確かなようです。音楽のほかにも衣食住さまざまなに当てはまりそうなその魅力、さてステテコはどうでしょうか。

 14世紀の室町時代に端を発する(諸説あり)ステテコは、クラシック音楽に負けないくらい立派な「衣服としての層」があり、現在でも落語家の着物の下に、アニメやマンガのキャラクターに、祭り着や若い方々のルームウェアに、といった具合でいろいろとイメージすることができます。またSF映画にこそ登場しないかもしれませんが「人間の下半身を包む天然素材の布」という意味では、この先も容易には代え難い心地良さであることは確かです。

 このようにして考えてみると、時代がいくら変われども、寝て、食べて、仕事して、遊ぶ、という人間の本質的な営みは変わらないように、クラシック音楽やステテコもまた、それ以上は根本的には変えられれない大事なものによって作られているという魅力があるのだと思います。

 最先端かどうかの魅力は時間の問題ですが、心地よいかどうかの魅力は心身の感じ方の問題です。「クラシック」を時間ではなく文化として眺めてみれば、きっとそこに変わらない心地よさが在る。

 9月の夜はステテコを穿いて聴くクラシック音楽、いかがでしょうか。

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