今月の絵『地図』 by Ryu Itadani
新生活と地図
知らない場所を訪れるとき、スマートフォンの地図アプリが便利です。目的地への方向と距離、所要時間などが確認でき、もし途中でお腹が空けば、近くで営業中のラーメン屋さんもすぐにわかります。今は、そんなことがほぼ世界中、どこの国に行ってもできてしまうすごい時代です。
世界の地図データがすっぽりと片手に収まるようになったのは、ここ20年くらいのことでしょうか。ごく簡単に地図の歴史を想像してみれば、最初は言葉がまだ無いのできっと身振り手振り。遠くを指すときは腕を大きく振って、近くを示すときは手の先だけ小さく動かして伝えていたかもしれません。
やがて言葉が生まれると「口伝」で位置情報を扱うようになり、広域の地形を「歌」にして覚えるという民族も現れます。そして文字と紙が発明されるといよいよ地図も地図らしくなって、人類は大航海時代に突入。次々と新しい航路が発見され、私たちがよく知る世界地図がだんだんでき上がっていきました。
日本で地図作りといえば「伊能忠敬」が有名です。でも実は初めから地図職人だったわけではなく、もともとは天文学への関心から成された大仕事なのでした。
江戸時代の後期、幕府には「天文方」という暦(カレンダー)作りの専門チームが設けられ、天文学が大好きだった伊能忠敬はそのメンバーのひとりだった高橋至時(よしとき)を師として教えを受けました。
そのころに用いられていた暦(カレンダー)は、まだ正確さに乏しく改良する必要に迫られていました。西洋の学術本を参考にして改暦を試みるものの、なかなか成果が上がりません。彼らはどうしても「正しい地球の大きさ」を知りたいと思いました。球は角度にすれば360度ですから、せめて「子午線(経度)1度」の距離が分かればいいのですが、それが諸説あってわからない。
懸命な研究から、どうやらその距離を知るためには「江戸から蝦夷地(北海道)くらい」までを測ることができればよさそうだと割り出します。しかし測量機器は大きくて重たいし、旅の費用も掛かる。各地を歩きまわるのであれば諸藩の許可や協力も必要だろう……。
ならば「日本地図を作ります!」という大胆な企画として、その中で知りたかった距離も測ってしまおうという巧妙な作戦を企て、結果的には見事に幕府公認の御用として実施され、その担当者に選ばれた伊能忠敬は以後17年にわたり、日本各地で計10回の測量を行いました。その間に歩いた距離は約4万kmにもおよび、ほぼ地球一周分というから驚きです。
ステテコドットコムとしては、伊能忠敬がどんな肌着を身につけていたのかも気になるところですが、その大仕事の最初の測量のため、蝦夷地に向けて出発したのが1800(寛政12)年の4月19日だったそうです。
私たちが暮らす現代もまた、4月はいろいろと新生活が始まる時季です。もしかしたらそれは初めて訪れる土地を歩くようなものかもしれません。備えあれば憂いなし。伊能忠敬をはじめとした先人たちが作ってくれた正確な地図と、ステテコドットコムの心地よい肌着で、元気いっぱいに歩き出してくださいね。