コンクリート・ポエトリー(月刊ステテコ6月号)

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@Ryu Itadani
@Ryu Itadani

今月の絵『ミキサー車と雨傘』 by Ryu Itadani

コンクリート・ポエトリー

 6月です。

 「雨」や「傘」または「梅雨」などで表現されることが多くなるこの時期ですが、それらは「あめ」「かさ」「つゆ」でも、「アメ」「カサ」「ツユ」でも良いかというと、そうでもありません。声に出せば違いはわかりませんが、文字の「姿や形」として見れば、それらはまったく別のものたちです。

 たとえば「雨」はまるで無数の水滴が滴り落ちているように見え、「傘」は屋根のようなものの下に人々が集まっているように見えます。「梅雨」の「梅」はちょうどこの時期に梅の実が熟すことに由来して用いられたのだそうです。

 文字は基本的には「線」や「点」で成り立っていますが、「漢字」はそれらの組み合わせによって自然現象や、人間の営み、季節の特徴などを巧みに表現しているわけですね。

 そんなこと知っているよ! とお思いの方、ちょっとお待ちを。では、それら漢字や文字から「意味を取ったらどうなるの?」という試みをした「コンクリート・ポエトリー(具体詩)」という詩のスタイルがあることを、ご存知でしょうか。

 「詩」と聞けば本来、読んだり聴いたりして味わうもの。と、思いがちですが、この「コンクリート・ポエトリー(具体詩)」では詩から意味を取ってしまって、ただの形として、つまり細かな線や点の集まりとして表現してみようというもの。「読む詩」ではなく「見て味わう詩」です。

 もともと「コンクリート・ポエトリー(具体詩)」は20世紀の中頃にドイツで生まれ、すぐに日本の詩人たちの間にも広まりました。検索するといろんな作品を見ることができると思いますので、ぜひ探してみてください。新国誠一さんの『雨』(1966)という作品はとてもわかりやすくて、思わず時間を忘れて眺めてしまいます。

 これは空想ではありますが、もしかして広い意味では、みなさんもよく知っている「へのへのもへじ」もコンクリート・ポエトリー的と言えるかもしれませんね。

 へ   へ

 の   の

  も

  へ

ご覧のように「へ」は本来、眉毛でも口でもないですし、「の」は目ではなく、「も」は鼻じゃありません。

どうでしょう? よく考えてみると、こうして「あった意味を取って別のものにする」ということが、文学や芸術、また身近な遊びとして隠れていることがしばしばあります。

ステテコも、衣服としての本来の意味や役割を削ぎ落としたら、いったい何に生まれ変わるのでしょう? そんな不思議を考えて過ごす雨の日も、おもしろいかもしれませんね。

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