ステテコ伝説(月刊ステテコ7月号)

ryuitadani_43
@Ryu Itadani
@Ryu Itadani

今月の絵『七夕の笹』 by Ryu Itadani

ステテコ伝説

 昔むかし、びわ湖のほとりで糸を撚(よ)る仕事をしていた「ステ彦」という若い男がいました。ステ彦は先祖代々受け継がれてきた糸づくりに心血を注いで取り組み、立派な職人として周囲から尊敬を集めています。

 また、同じほとりにはステ彦が撚った糸で「綿ちぢみ」という、この土地ならではの生地を織る「テコ姫」という若い女がいました。テコ姫もまた、たいへん手先が器用な働き者で、それはそれは美しいシボを織り出しては、人々に喜ばれていました。

 二人がつくる「綿ちぢみ」は、京の都に運ばれて染められ、続いて九州の国東へ運ばれて裁断、縫製されると「ステテコ」と呼ばれる穿きものとなり、他に類を見ないほど涼しくて軽く、日本の夏に欠かせない穿きものとして、老若男女から愛されていたのでした。

 そんな様子を見ていた肌着の神様はある日、世のために働く二人にご褒美として、びわ湖一周旅行をプレゼントしました。

 旅を通じて二人はすっかりお互いを気に入りました。しかし、旅を終えて帰って来てからというもの、まったく仕事をせずに、岸辺や湖上で遊んでばかりいるようになってしまいました。

 ステ彦が糸を撚らず、テコ姫がそれを織らなければ、いつまで経っても「綿ちぢみ」はできません。やがて町や村ではボロボロになったステテコ姿の人が目立つようになってきました。

 さらに時が経つと、蒸し暑い夏にステテコを穿くことができない人々は生活への意欲も失い、夜も快適に眠ることができず、世の中からどんどん元気がなくなっていきました。

 それでも遊び呆けているステ彦とテコ姫。ついに怒った肌着の神様は「えぇい!!」と二人をびわ湖の対岸に引き離して、こう言いました。

 「よいかステ彦、テコ姫、お前たちが本当に一緒に居たいのなら、仕事で会うときのみ、びわ湖の波を穏やかにして船を渡してやろう」

 以来、二人は以前のように真面目に仕事に打ち込むようになり、世の中には再びステテコが届けられるようになりました。人々は、自分たちの快適な夏がそんな二人の仕事に支えられていたことを知り、今まで以上に感謝して、大切に穿くようになったのだといいます。

 steteco.comも、そんな二人のような産地に支えられて、みなさんへステテコをお届けしています。

先頭に戻る