靴下のきもち(月刊ステテコ12月号)

ryuitadani_51
@Ryu Itadani
@Ryu Itadani

今月の絵『靴下』 by Ryu Itadani

靴下のきもち

 12月は大掃除の季節でもあります。

 1年分の積もった汚れをきれいにして、新年を迎える。いつも以上に気合いの入れて行う掃除ですから、いきおいジャングル化した収納スペース奥地にも手を伸ばすわけですが、しばしばそこから、買ったまま履かずに忘れていた靴下、無くしたと思っていた片方だけの靴下、あるいは、まだ履けるけれど気分的にもう履かない靴下などが、不意をついて出てくることがあります。

 もしもそれが、買ったまま履かずに忘れていた靴下なら、あらためてデビューを飾り、片方だけの靴下なら、探していた相方とめでたくコンビ再結成。しかしちょっと問題なのは「履けるけれど履かない靴下」が出てきてしまった場合です。

 みなさんにもきっと経験があるかと思いますが、靴下というのは履いているうちにどうしても、擦れたり、伸びたり、色あせたりと、他の衣服よりも早い消耗が避けられません。靴下が靴下として生まれてきた役割をまっとうしての勇退なら、きっと満足してくれるはずですが、もしもその理由が主人のうつろいがちな「気分」によるものだとしたら、その靴下の心中は、決してハッピーとは言えないでしょう。

 穴が空いてしまった靴下もそうです。95%は問題ないのに、わずか5%の小さな傷や穴のために、主人に「恥ずかしい」というためらいが生じ、フレッシュな他の靴下に取って代わられる。

 この靴下の穴を一例に、私たちはさまざまな仕方で「恥ずかしい目」に遭わないように注意しながら暮らしいます。いくばくかの窮屈さを感じつつも、社会は昔からそのような空気で成り立っているゆえ、穴の空いた靴下は「もう履くことができない」となってしまうのです。

 でも、たとえ社会がそうであっても「履けるのに履いてもらえない靴下たち」にとっては何の慰めにもなりません。だって彼ら彼女らは、履かれるために生まれてきたのですから。ステテコドットコムにも、このたび新しい靴下製品の仲間が加わり、もしもみなさまにお試しいただけることがあれば、できるだけ長く愛用していただきたいと願っています。では、どうしたら履けるけれど履けない靴下たちを救えるのか、長い目で考えていかねばならない課題です。

 人間同士に起こる情理のさまざまを人間模様といいますが、人間と靴下との間にも悲喜交々の模様があり、そんな靴下たちのきもちを考えてみる機会という意味でも、このテーマを以て今年を締めくくる月間ステテコ12月号とさせていただきたいと思います。

 みなさま、どうぞあたたかいクリスマスと、健やかな新年をお迎えください。

先頭に戻る