あたらしい始まり(月刊ステテコ1月号)

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@Ryu Itadani
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今月の絵『屏風のヘビ』 by Ryu Itadani

あたらしい始まり

 新年おめでとうございます。古来、私たちは1年の始まりを祝日として迎え、めぐる月日の新たな節目から、先祖とふるさとに心はせることを大切にしてきました。

 かつて俳人の松尾芭蕉さんは「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にて、行きかふ年もまた旅人なり」と、紀行文『おくのほそ道』の冒頭に記しました。つまり、月日というのは永遠に通り過ぎていく旅人のようなものであり、行ったり来たりする年というのもまた旅人なのだ――と。ちなみに芭蕉さんはこの徒歩旅(かちたび)にあたって、ステテコの祖先であるモモヒキを穿いて出発しています(嬉)。

 すべては時の旅の中でのできごと。

 たとえば山や川、空や海はもちろん、街での私たちの暮らし、毎日の食事やお風呂、通勤と仕事、子供たちが走りまわる公園や、若者たちのファッションや、未来的な電気自動車などもすべて、流れゆく時の旅の中にあります。

 そんな大河の中を自由に泳ぎ回る人たちに「落語家」というのがあります。マクラ・本題・オチで構成された「噺(はなし)」という泳ぎ方で、時の古今を問わず、場所の東西を問わず行き来し、聴衆に健康的な笑いと知性をもたらしてくれます。落語はステテコドットコムにも大変馴染み深い日本の話芸でもありますが、たとえオチが分かっていても何度でもおもしろいというSDGs的な魅力もあります。

 そこで2025年は巳年ですから、蛇が登場する『蛇含草(じゃがんそう)』というお噺を紹介したいと思います。

 昔むかし、大蛇が丸呑みにしたヒトを消化するためになめる「蛇含草」を手に入れた男が、欲のままに蕎麦や餅をたらふく食べて苦しくなったところでその草をなめたところ、食べたものと着ていたものだけを残してきれいに消えてしまった。この「蛇含草」はいわゆる胃薬ではなく、ヒトを融かす妙薬だった。というものです。

 淡々と書くと一見怖いですが、生きた落語になるとオチに至るまでいろいろな演出が盛り込まれ、とてもおもしろいお噺です。また欲望と消滅はひとつながりという意味では、自らのしっぽを喰む古代ギリシャのウロボロスの蛇を思い出させてもくれます。それぞれのルーツを辿るとどこでどうつながっているのか、なかなか奥が深いですよね。

 ほかにも蛇は脱皮をすることから、巳年には「成長」や「変化」が期待できるそうです。さてステテコドットコムはどんな吉兆を起こすことができるでしょうか。ぜひともご期待ください。

 みなさまも、どうか健やかな1年の旅になりますように。

 本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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