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ステテコの歴史
ステテコの歴史
History of Steteco
いつからズボン下は「ステテコ」と呼ばれるようになったの?
そもそも「ステテコ」ってどういう意味?
モモヒキ、パッチとは違うの? 今「ステテコ」は何処へ?
ステテコの誕生と衰退・進化の歴史をたどり、その謎に迫ります。
室町時代
1336年〜1573年
「ステテコはモモヒキの変形である」という説から、モモヒキが現れたとされる室町時代を、ステテコ史の出発点とする。モモヒキは、脚にぴったりと沿わせ、反対に腰にはゆとりをもたせ、左右別々に筒状に仕立てたものを紐でつないだものである。
モモヒキの語源は一般に、モモハバキ(注1)から転じたと言われているが、すねに巻き付ける布状のものが、ズボン式であるモモヒキに成長したものと考えるのは少し飛躍を感じる。 また、モモヒキと山袴(やまばかま)の間には、作りや着用法に多くの共通点が見られることなどから、袴(はかま)とモモヒキは互いに影響を受けてきた確率が高いという説もある。
江戸時代
1603年〜1867年
江戸時代になるとモモヒキは、一般に普及した。作業着としての機能性の高さから職人はもちろんのこと、庶民の旅行用などにも用いられた。
モモヒキの一種と考えられているパッチは、朝鮮語のパチから名付けられたといわれるが、京阪と江戸ではその呼び方に違いがある。京阪では素材を問わず足首まである丈の長いものをパッチ(注3)、旅行に用いる膝下ぐらいのものをモモヒキといい、江戸ではチリメン絹でできたものをパッチ、木綿ものは長さにかかわらずモモヒキと呼んだ。短いモモヒキは半モモヒキ(=半タコ)(注4)、または猿股引(さるももひき)(注5)と呼んで区別する事もある。
パッチは一般にゆるやかに仕立てられ、モモヒキは細めに作られた。江戸では文政末頃から、より細くて足にぴったりしたものが好まれ、粋(いき)とされた。中でも材木商の使用人が、足さばきを良くする為に使い始めた、川並(かわなみ)(注6)は、はくときも脱ぐときも足の出し入れが困難なほど極めて細く、座る事もままならかったというから驚きであるが、一般労働者の間で大流行した。
明治時代
1868年〜1912年
明治時代でも、一般労働者はモモヒキを愛用した。 職人階級は、木綿の腹掛けにモモヒキと印半纏(しるしばんてん)、商人や使用人などは着物を尻はしょりしてモモヒキをはくのが定番の格好だった。やがて、西洋文化が取り入れられ、洋装の着用がみられるようになると、パッチは次第に姿を消していき、作業着としてモモヒキだけが残された。
明治13年頃にはさらに和洋両装が一般化。下着も洋装に移る過度期となり、モモヒキの着用法にも変化が現われる。西洋のショーツが日本のモモヒキと結びつき、猿股(さるまた)(注7)となって下着に。また、ズボンの普及に伴いズボン下となって、それぞれの道を歩んでいく。モモヒキから進化した、このズボン下こそがステテコの源流といえるが、果たしていつからステテコと呼ばれるに至ったのか? 一説によれば、上方落語会・"珍芸四天王"の一人である三遊亭円遊(さんゆうていえんゆう)がステテコの産みの親だといわれている。 彼の持ちネタで、着物の裾を尻からげにして、白い半モモヒキをあらわにした踊り(注8)が、当時空前の大ヒット。これをステテコ踊りといい、半モモヒキのことをステテコと呼ぶようになった由縁といわれる。
それから数年後、都会では冬場に白や肌色のメリヤス製のズボン下が用いられるようになり、夏にはクレープ肌着のステテコとシャツが高級品として市場に表れ始めた。
昭和
1926年〜1989年
昭和30年代になると、高級品だったクレープ生地の量産が可能になり、クレープ肌着の需要(注9)は最高潮に達した。「吸湿性の良さ」や「爽やかな着心地」を兼ね備え、蒸し暑い日本の夏に適したその肌着はあっという間に一般に普及し、特にステテコは、ゆったりとしていて肌にぴったり付かないので着心地が良く、大変涼しいということなどから、夏のお父さん達の定番スタイルとして大流行した(注10)。
しかし、ブームには必ず終わりがやってくるもので、ステテコもまたその例外ではなかった。1970年代、ジーンズのファッション化が進み、ニュートラッド(=アイビールック)が全国的に流行。最先端のファッションに身を包んだ若い世代に、『ステテコ=格好わるい』という意識が芽生えた。Tシャツやジーンズの普及など、生活様式の変換につれてズボン下をはく人も減り、時代とともにステテコは衰退の道をたどる。
平成
1989年〜(まとめ)
そして平成の今、"ステテコは格好悪くて時代遅れのもの"という風潮が広がり、「ステテコ」という言葉自体を知らない人も増加傾向にある。エアコンが普及した現代において、もはやステテコは消えて無くなる運命にあるのだろうか?
それは違う。一部では、「フレンチカルソン」や「ロングトランクス」といった洋風な名前に変わることで生き残る動きもでている。また、昔ながらの楊柳のほか、カジュアルなカットソー素材のものや、カラフルな色柄のものも市場に出だしてはいる。
ステテコが、古くモモヒキから始まり、日本人の日常に必要とされた訳は、我が国の風土と生活環境に密着したものだったからである。 日本人のライフスタイルが長い年月をかけて変遷を続けてきたように、ステテコもまた、新しいカタチを求められているのかもしれない。